

Interview:MONO NO AWARE(玉置周啓&加藤成順)
——二人がここ八丈島で出会ったのはいつごろなんですか? 加藤 ちゃんと知り合ったのは高校のときですね。でも、中学のときもちょっと会ったことがあって。 玉置 陸上記録会で一回会いましたね。 加藤 そのときは一言二言交わすくらいだったと思いますけど。 玉置 成順のお母さんは俺の小学校の保健の先生だったんですよ。加藤先生に同い年の息子がいることは知っていたんですけど、陸上記録会でたまたま隣だったのが成順だとは認識してなくて。陸上記録会に来てることはわかってたけど、違う子だと思ってたんです。名前も知らずに石ころを投げ合ったり、ちょっかいを出し合ったりしていた記憶があります。それで長距離走が始まって、成順が「がんばろう」って言ってきてうれしかったので覚えてますね。俺のほうが先にゴールしたんだけど(笑)。 加藤 当時、八丈島には小学校が5校と中学校が3校あって、高校でみんな一緒になるんです。高校の同級生は60人くらいでしたね。 ——八丈島は東京都ではあるけど、伊豆諸島の島であって。島の外にある都会としての東京を幼いころの二人はどう見ていたんですか? 加藤 東京という街は島の外にあるという感じでしたね。 玉置 自分が住んでる場所が東京という自覚はなかったですね。だから、都民の日という祝日の意味がよくわからなくて。中1のときに「都民」ってこういう漢字なんだって思ったんです。それまでなんで都民の日が祝日なのかよくわからなかった。 加藤 そっか! それは今わかったわ。東京都民の祝日なのか(笑)。それくらい島は島というか。東京に行くのは旅行という感じでした。遊びに行く場所。 玉置 東京の最初のイメージはディズニーランドでしたし。うちは旅行に行くといったらほぼ毎回ディズニーランドだったので。 加藤 わかるわ! 玉置 で、一番近い本土が東京なんだって大学入学のタイミングで島を出たときに初めて実感しました。埼玉から東京に出てくるのとは違うし、奄美大島で生まれ育って鹿児島に行くというのとも違う感覚だと思うんですよ。都会からしたら八丈島はすごく僻地だと思うし。自然に囲まれて育ってきたのに大学からいきなり大都会のど真ん中で過ごすギャップはすごくありましたね。 加藤 しかもほぼ強制的な感覚というか、高校を卒業したらみんな島を出て本土の東京に行くという流れがあるんです。島に残ってもいいけど仕事がないし。他の地方に行く人も少なくて。みんな本土の東京に行くんですよ。 玉置 俺も島を出ていく場所の候補が東京しかなかったです。どこに行くにしても一回東京を経由するというか。中高生になると原宿に初めて行ってみたりするんだけど、それも全部パラレルワールドみたいな感覚でしたね。









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『AHA』
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MONO NO AWARE 『AHA』リリースツアー<OHO>
2018.09.28(金)札幌COLONY ※ゲスト有り 2018.10.12(金)福岡 the voodoo lounge ※ゲスト有り 2018.10.13(土)広島4.14 ※ゲスト有り 2018.10.26(金)仙台enn3rd ※ゲスト有り 2018.10.30(火)大阪 Shangri-la ※ワンマン公演 2018.10.31(水)名古屋 TOKUZO ※ワンマン公演 2018.11.16(金)東京LIQUIDROOM ※ワンマン公演 詳細はこちらtext & interview by 三宅正一
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